フリーランスママdays

フリーライター&中学生ママの日々の悩みと小さな幸せ

「忙しい」と「面倒くさい」の断捨離

春休み、仕事と子育ての両立に悩んでいるママさんパパさんは多かろう。

わが家は中学生になってだいぶ手が離れたものの、まだまだだ。

さあ原稿に集中だーと思ったら、その前に子どものごはんを準備しておこう、その前にジャージを洗濯しておこう、天気もいいしふとんを干しておこう、食器洗いもしておこう。

となる。

さあ改めて原稿だーと思ったら、学校のプリントにサインしてほしい? 習い事の先生に連絡してほしい? 美容院の予約とってほしい? クリニックに通いたい?

となる。

こんなことの繰り返しで「忙しすぎるー!」と爆発しそうになる。

これら、こまごまとしたことは実に「面倒くさい」ことばかりだ。

家事はひたすらこまごましたことの積み重ねだし、子どもは親の言うことなすことにダメ出ししたい時期だし。

家事育児以外でも、私の仕事、編集・ライター業もじつにこまごまとしている。最近めでたく終えた確定申告など「面倒くさい」のトップオブザイヤーだ。

「忙しい」も「面倒くさい」も意識すればするほど、余計に忙しく面倒くさく感じられる。それに「忙しい」「面倒くさい」と言ってるのって、あまりかっこよくない。いつも何かに追われたイライラドタバタ星人になってしまう。

「忙しい」も「面倒くさい」も事実であり変わらないならば、いっそのこと言葉だけでも断捨離してみよう。同じことをやるのなら、気持ちよくやろう。

やることはたくさんあるし、こまごましているけど、それが人生だ。

つい口をついて言ってしまう言葉だから、ここに宣言しておく。

夫婦は見ているものが違う

子どもの心を優先させるか、社会や世間体を重視するか。

この問題で悩んでる。

コロナはこのバランスに悩むことが多かった。

社会や世間の常識がまちがっていると思うことも多い。

実際、子どもが自粛生活で心を病んだこともあるので、私は子どもの心を第一優先にすると決めている。

今、悩んでいるのは、夫との見解の違いだ。

私は前者を、夫は後者を優先している。

毎日会社に通う夫にとっては社会や世間からの評価はとても大事で、人望や出世にも関わってくる。

それはわかるけど、だからといって子どもを泣かせていいものだろうか。

子どもと一緒にいる時間も関わってくる。

より長い時間、目にしているものが、自分にとって大事なものになってくることは往々にしてある。

違うものを見ている夫婦は、どちらも自分の価値観を正しいと思いたい。

相手にもわかってほしいし、相手も変わってほしいと思う。

お互いにそう思ってるんだから、難しいね。

【オススメ本】彼らに必要なのは「支援」よりも「保護」

DVとか育児放棄とかヤングケアラーとか、過酷な家庭環境に置かれる子どもにようやく焦点が当たりつつある。

しかしながら、いわゆるやくざと呼ばれる親から生まれた子どもには、その目はなかなか向けられない。

こういう子どもたちは、一人の子が上記の問題を全て抱えてしまっているケースも多いのだという。

にもかかわらず、行政や学校のサポートを得られないどころか、差別すら受けて放置されてしまう。

親は「学校や警察や行政は敵」と教えているため、子ども自身が助けを求めようとは考えないし、子ども自身も声を上げたら親が逮捕される可能性があるとわかっているから、声を上げたくても上げられない。

近所の人も薄々感づいていても関わりになりたくないと通報することをためらい、学校は学校で親と面と向かって対峙することを望まない。

ノンフィクション作家・石井光太さんの新刊『ヤクザ・チルドレン』は、こうした家庭に生まれた子ども14人のインタビューが載っている。

暴対法が施行されてから、やくざと呼ばれる人たちの生活はますます厳しくなり、そのとばっちりが一番の弱者である子どもに向かっているという。

その子どもたち(と言ってもすでに成人している)のエピソードは信じがたいものばかりだ。

家庭内暴力はあたりまえで、両親ともに麻薬中毒だった人や、母親の恋人が毎週のように変わる人、親が指名手配されて一家で逃亡する人まで。

学校では、みんなから色眼鏡で見られ、今まで仲良くしていた友達が離れていったり、定員割れしている定時制高校に不合格になったり。

家にも学校にも居場所がない状況で、受け入れてくれるのは不良仲間だったり暴走族だったり暴力団事務所だったりしたら、道を踏み外さずに生きていくことはできるのか――。

石井光太さんの言葉が印象的だった。

暴力団の家庭に生まれ育った時点で、大半の子供たちには支援というより保護が必要だ」

これは昔話でもなければ、遠い国の物語でもなく、今現在この日本で起こっている現実なのだ。

周りにいないとピンと来ないけれど、知っておかなきゃいけないことはある。特に教育関係やメディアに関わるのであれば。

仕事とプライベートが溶け合う働き方

プロってなんだろうと考えることがある。

その仕事・その役目に徹すること? 

プライベートを持ち込まないこと?

じゃない気がする。

時給をもらうバイトなら、そういう働き方でもいい。

でも本気でこの仕事をやっていきたいという仕事なら、仕事は自分自身であり人生である、といった働き方をしたい。

そのほうが楽しいと思うから。

最近、そういう働き方をしている人に出会った。その人は中学教師だ。

その人はかつて、教師の仕事とプライベートときっぱり分けた働き方をしていたそうだ。お子さんに障害があったのだが、それを同僚にも生徒にもカンペキに隠していたという。

その数年間は、先生として人前でしゃべっていても、何か自分の言葉が薄っぺらく、嘘っぽく感じたのだとか。

そこで人生をさらけだす働き方にシフトしたそうだ。自分の弱さや失敗を包み隠さず打ち明け、悩んでいる子どもや親に寄り添い共に悩む、そういう先生になった。

今、その人が語る言葉には、魂の叫びが感じられる。そういう言葉に出会うと、ああ生きるのっていいなと思えてくる。

そして、そんな言葉を発する先生に出会えたら、子どもたちは幸せだ。

私の仕事は書くことだ。書くことは、文章術や文法の勉強を積んだところで、人の心を動かせるわけじゃない。

書くことは、生きることだ。どんな言葉を選ぶか、どう自分の感じたことを表現するか、どう考察していくか。

それはすべて私がどう生きるかにかかっている。

真実の言葉を紡ぎだせたら、もしかしたら誰かの心の琴線に触れることができるかもしれない。誰かが、ああ生きるのっていいなと思えるかもしれない。

私はそんなライターに、そんな人になりたいのだ。

分断されるのが私の役目とわかっちゃいるけど

私の書斎はダイニングテーブルだ。

椅子も気に入っているし、コーヒーもすぐに淹れられるので、それについて不満はないのだけど、仕事の仕方にはスッキリしないものがある。

特に休日、家族が家にいるかぎり、どうしたって仕事が分断されるのだ。

食事を用意する、洗濯機を回す、仕事する、子どもに呼ばれる、食器を片づける、仕事する、洗濯物を干す、子どもに呼ばれる、仕事する、夫が話しかけてくる、買い出しの時間になる……。

家族のコミュニケーションは大切にしたいし、家事を担う者として分断されるのが役目とわかっちゃいるけど、毎度毎度になるとたまらない。

お願いだから、5000文字の原稿を最初から最後まで集中して読ませてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって思う。

家族にもきつく当たっちゃうし、そうするとおもしろいもので、次から次へと用事を運んでくる。

自分の部屋にこもって、心ゆくまで仕事ができる環境の人がうらやましーーーーーーーーーーーーーーのである。

マイノリティーになると途端に生きづらくなる

日本は暮らしやすい国だと思う。

外国に比べると治安はいいし、交通マナーは悪くないし、公共交通機関は発達していて時刻通りだし(都市部に限るかな)。

私も比較的平穏に暮らしているほうだ。

ただし、多数派である限りは。

いったんマイノリティーになると、とても不便で心細く感じる。

私はどこを切り取っても多数派に属しているタイプだ。国籍も障害の有無も宗教も性志向も。だからそれで悩んでいる人の本当の気持ちはわからない。

でも、日常の小さなことでマイノリティーになる瞬間、たとえば子どもが電車で騒いだり、洋服が周囲から浮いていたり、空気の読めない意見を言ったり、そんな瞬間に「白い目」が飛んでくる。

積極的に攻撃してくることはないけど、温度のない「白い目」を向けてくるのだ。

白い目ってなんだろう。ああ面倒だな、関わりたくないなという目。見て見ぬふりする目。

そんな視線を感じとってしまうと、ああ今まさに私はマイノリティーだ、誰も助けてくれないんだ、と途方に暮れた気分になる。

一本のレール、決まったルールの中では、とても親切な人たちだけど、そこを外れると、とても冷たい無関心な人たちになる。

レールやルールから外れた人にどう対処したらいいかわからないから、そういう態度になるのかもしれない。

だって私たちは学校教育で、レールやルールが第一と教わってきたからね。都立高校のブラック校則が撤廃されたのも2022年だからね。

まあ日本の学校教育を書き出すと書きたいことが止まらないので、別の機会に改めるけれど、せめて私はマイノリティーにある人にあたたかい目を向ける人でありたい。

できれば何か行動できる人になりたい。

私、あたり前のこと書いてる?と手が止まった

まさに今、そうだったんだけど、あるテーマで書き始めて、手が止まった。

これって世の中でよく言われていることを、ただまとめてるだけじゃない?

そう思ったら、私は何を書こうとしているのか、なぜ書こうとしてるのか、わからなくなってしまったのだ。

でもさ、よくよく考えると、世の中で誰も言わないことを書くなんてできないし、よく言われていることを私なりの視点で書いたらいいわけだよね。

「日本の生きづらさ」「マイノリティー

がテーマだったから、たぶん強烈でリアルな体験が足りなかったんだと思う。でも強烈じゃなくても、ささやかな違和感は日々感じているわけだから。

もう一度、明日トライしてみよう。