「ごめんね」は翌朝ちゃんと言おう
昨夜10時、子どもとやり合ってしまった。勉強とスポーツの両立へのグチに始まり、私のサポートが足りないと責められ、ほかの親と比較された。
さらに、すでにきょうだいが寝ている時間に大声を出したことで、私の怒りのスイッチが入ってしまった。
「子どもが寝ている時間に大声を出す」
これは以前夫がやってトラウマになっている出来事があり、その記憶も重ね合わせてしまったのだ。
子どもには「もう話したくない」と背中を見せるような態度までとってしまった。
決裂したまま子どもが寝ちゃうって最悪な気分。
私もベッドに横たわりながらグルグル考えていると、ああ子どもはただ疲れていてちょっと当たりたくなったのだ、もっとがんばりを受け止めてほしかったのだと思えてきた。そう思えるのは、決まって子どもが寝たあとだ。
寝顔を見ながら心を痛める――を何年も繰り返してきて、私もちょっとは成長した。
翌朝、笑顔で挨拶する。そして、ケンカをなかったことにするのではなく、ちゃんと「昨日はごめんね」を言うのだ。すると、眠そうな表情の中に満足気なニュアンスが浮かぶ。
激情に飲み込まれると、子どもの声が聞こえなくなる。でもじつは、子どもはけっこう的確にものを言っている。感情が鎮まったところで思い返すと、「たしかにそのとおり」とうなずくことも多い。
人の言葉に耳を傾けることは、素直であることだと思う。
大人と素直ってなんとなく結びつかないし、素直っていうと単純な考えなしみたいなイメージもあるけれど、この場合、寛容とか柔軟性よりも素直って言葉がしっくりくる。
ちゃんと話を聞ける。ちゃんとごめんねが言える。
そんな素直な親でありたいし、素直な人でありたい。