フリーランスママdays

フリーライター&中学生ママの日々の悩みと小さな幸せ

私が変われば夫も変わる、を目の当たりにした

人を変えることはできないという。

私は夫と心が通じ合えないことで10年くらい悩んできたが、きっと夫が変わることを期待していたのだろう。

コロナ禍になるタイミングで夫が単身赴任になった。子どもの中学受験期のトラウマもあって、もう夫婦はダメになったと思っていた矢先だ。夫が単身赴任中に、よし離活をしよう、と思った(ちょっと具体的な行動もした)。

今年の春先、離婚の二文字を遠くにいる夫に電話で切り出した。夫はちんぷんかんぷんのようだった。これまで散々、言葉で態度で示してきた私の抗議はなんだったんだろう、と拍子抜けするほどだった。

そこから半年、急遽、会社の辞令が出て家に戻ってくることになった。当初の予定よりだいぶ早い。どうする私。別離か修復か。

で、何もせずこのまま別れるより、一度もがいてみよう、と結論した。

手紙を書いた。夫を責めない内容で書いた。どちらが悪いではなく、これからこうしていきたい、と希望を書いた。少々茶目っ気も入れた。

そして、帰ってきた夫。

一番驚いたのは、ケチで絶対モノを捨てない派の夫が断捨離に精を出していることだ。今まで夫の溜め込みでどれだけケンカになったか知れない。ケンカになればなるほど、犬がマーキングするように、夫の私物が家族のスペースを侵食してくる。その夫がだ。

きっとモノで自己主張していたのだろう。もっと自分を見て、認めて、やさしくして、と訴えていたのだろう。薄々そんな気持ちに気づいてもいたけど、その幼いやり方にすらイライラしていた。

でも私は考え方を変えた。

これまで夫に怒られたらイヤだなと相談せずにコトを進めたことが多かった。でもこれからは情報をシェアしよう。隠されたから怒ったのだ。疑心暗鬼から入るのはやめよう。

それに夫のモノは夫のモノ。夫の考えは夫の考え。私の思いどおりになるわけでもない。離れていたぶん、自分の居場所を取り戻そうとモノで主張してくるかもしれないが、「私物は個室へ」と私の希望は伝えたのだから、どうするかは夫次第。なによりも大好きな子どもと離れて過ごす時間はさぞ寂しかっただろう。

と本心から思えて、夫に対する注文はなくなった。そうしたら、夫は自分からモノを手放し始めたのだ。もうモノで自己主張する必要がなくなったのかもしれない。

私が変わった、と夫が感じたのか。これがミラー効果なのか。人を変えようと思っても変えられないけれど、みずから変わりたいと思えば変われる。お互いに。

えっ、「このスーツ高かったけどもう着てないからなあ、もっとゴミ袋ない?」だって⁉

これからも夫の観察こっそり綴っていきます。