なぜ主演女優は演技がうまくないのか
はじめに、演技がうまい・うまくないは受けとり手の主観もおおいに入るので、偏見だと感じられるかもしれない。
日本のドラマや映画を観ていると、「ん?演技イマイチ?」と感じることがある。それは脇役ではなく決まって主役で、女優さんに多い。
それもそのはず。主役に選ばれるのはたいていビジュアルがものを言う。華のある人、人気のある人、視聴率をとれる人だ。
脇役の演技が気にならないのは、その世界は実力勝負だからなのだろう(外国映画については今回は触れない)。
で、なぜ主演女優には演技イマイチさんがいるのか。
演技とは感情表現だ。感情表現するには、感情の動きがなければならない。その感情を味わったことがなければ、表現しようがない。
喜び、感動、うれしさ、楽しさといったプラスの感情だけではない。
悲しみ、怒り、悔しさ、嫉妬、絶望などマイナスの感情もそうだ。プラスの感情がより濃厚になるにはマイナスの感情が必要だし、逆もしかり。
また感情は自分の感情だけではない。他人の感情を推察したり共有したりすることでバリエーションが増えていく。それは周りの人を観察したり読書したりすることで培われていく。
で、ここからは想像になるが、彼女たちはおそらく教室で輪の中心として生きてきた。自分から声をかけずとも、周りが声をかけてくれる。
そう、ちやほやされるのだ。
誰に話しかければいいのか、誰が信頼できそうなのか、誰が裏切りそうなのか、そういう観察をしなくても、気づけば周りに人がいる。
独りぼっちになりたくない、周りの人が離れていったらイヤだ、不本意なグループに入りたくない、といった恐怖も相対的に少ないのではないか。
ちやほやの功罪とでもいおうか。
私にもちやほやされた経験はあるが、あれは脳内麻薬が出る。ぼうっとなって足が地面から10センチほど浮く。
主演女優さんたちは一事が万事、けっこう皆がフツーに経験する感情を経験していない可能性がある。
もちろん持ち前の観察眼や知性や感性や器用さで名演技をする女優さんもいるけれど。思いつく数人の話をしている。
彼女たちに何かが足りない、と思うのはそういう経験値なんじゃないか。ちやほやされ慣れている感じがどうしても演技に出てしまっている。
製作陣も観客もそれを許しているやさしい社会だから成立するのだろうが、私は演技の観察のほうに忙しくなってしまい、物語にイマイチ入り込めないのである。