正解を気にする人たちにモヤモヤする私について
ある初冬の日。
ラジオを聴いていて、「いつから暖房をつけるのが正解なんだろう」という言葉があった。
正解?
いったいなんのこっちゃ。
寒いと思ったらつけるのが暖房ではないのだろうか。
もちろん節約したいからギリギリまでつけないという人や、寒さの中で身体を鍛えたいという人はいるけれど、どうやらそうでもなさそう。
「つけたら暖かくなって仕事がはかどるようになった」
と言っているのだから。いったい何と闘っていたのか。
正解という言葉は子育て分野でよく耳にする。
「いつから公文を始めるのが正解か」
「子どもを伸ばすにはどんな言葉かけが正解か」
たしかに、これは先輩親の成功談を聞きたいところでもある。
子育てという長期間にわたる大事業において、少しでもリスクを減らす行動をしたいというのは自然な感情だ。そのあたりを自覚しながら正解を探すのはアリだと思っている。
でも、いつ暖房をつけるのは正解か。という発想はちょっと違う気がする。
日本人論にも通じてしまう、正解・不正解の考え方。
同調圧力を生み、私たちを息苦しくさせている、昔ながらの考え方だ。
だからとてもモヤモヤしてしまう。
新しい時代になって、古い価値観から抜け出そうとがんばっているのに、後ろから裾を引っぱられたような気分になるのだ。
そして、そういう発言をする人は大抵とてもいい人で悪気はない。
というわけで、今日も暖房つけてがんばって仕事しよう。