完璧を目指すのはステキだけど、人に完璧を求めない
完璧な人になりたい――とは思わないけど、いろんなところに意識を行きわたらせる人になりたいとは思う。
原稿だったら使う言葉の一つひとつにまで、美容だったら髪の先、爪の先まで。
どこかに手を抜いたような甘さが見えたら、がっかりしてしまう、がっかりさせてしまう、そういう状況をつくりたくないのだ。
ただそれは自分自身の理想であって、ほかの誰かに求めてはいけない。
目下の問題は、夫がリビングに私物を散らかし放題なこと。
「単身赴任から戻ってきたばかりで仕方ないじゃないか」「仕事忙しいから仕方ないじゃないか」という言い分のようである。
以前だったら、イライラし我慢を重ね、まちがいなく爆発してるだろう。
でも今はイライラをやめた。
やんわり二度伝えたけれど、あとは夫が動くのを待つしかない、と切り替えた。そこに完璧を求めると、家族関係が悪くなり、本末転倒感が強くなる。
夫が単身赴任から戻ってくる前、断捨離好きな子どもたちは「リビングが散らかったらどうしよう」と心配していた。リビングが散らかることよりも、それによって家族がピリピリし夫婦ゲンカすることのほうを怖れていた、といったほうが近いだろう。
私がおおらかな心持ちでいると、子どもたちも「まあ散らかっているけど、ケンカしないほうがいいよね」と安心しているようだ。
人は完璧じゃない。完璧じゃない相手を許す。完璧じゃない相手を愛す。
――というチャレンジをリビングを眺めながら毎日している。