フリーランスママdays

フリーライター&中学生ママの日々の悩みと小さな幸せ

あなたも私も「ほめられて伸びるタイプ」

よく「ほめられて伸びるタイプ」って言葉があるけど、「怒られて伸びるタイプ」なんているのだろうか。

怒られたら委縮するし、自信なくすし、やる気をなくす。

これは大人も子どもも変わらない。

怒られ方にもよるけど、「ああ、この人うまい怒り方するなあ。心が動かされるなあ」なんて人に会ったことがあるだろうか。いや、ある。

小学校5~6の時の担任のW先生は、心に深いところに訴えかけてきて、「ああそうか。ちゃんとしないとな」と背筋が伸びるような怒り方をしたな。

東洋経済オンラインにも「叱っても人は育たないが叱る側はドーパミン噴出」という記事があったが、W先生のような怒り方ができる人は稀なのだ。

私は子どもを怒る理由は2つと決めている。

危ないことをしたときと、他人を傷つけたときだ。

この2つのときは全力で怒ろうと思っている。

でも中学生になった今、あまり危ないこともしないし、他人を傷つけたりもしない。むしろそれ以外の理由でしか怒っていない。スマホを見ながら会話したとか、リビングに私物を置きっぱなしだとか。

何度も言うはめになるのは、まったく響いていないからだろう。

何にせよ、怒ることで子どもの心は動かせないし、成長することはないのだと心得ておきたい。

繰り返す。

人は怒られても伸びない。

ほめられたら、うれしいし、自信が出るし、やる気が湧く。

ほめて伸ばそう。

春休み、修行に行ってまいりました

修行といっても滝に打たれてきたわけではなく、お遍路さんとなって長い道を歩いてきたわけでもない。

子どもにつきあってUSJに行ってきた話だ。

私は絶叫マシーンに強いほうだし、自分の希望は脇に置いて子どもの趣味につきあうことも苦じゃない。

でも、春休みのUSJは修行だった。

なにが修行だったかって、アトラクションの列が長すぎたのだ。

一番待ち時間の長いアトラクションで230分と表示されていた。60×4で、4時間近いことになる。

もちろんこれに乗ることはなく、せいぜい2時間を切っているアトラクションを選んで乗った。70分と表示があったら、短い!と感じるくらいだ。

ただし数字上は短く感じても、実際に並んだら70分は長すぎた。

なにせ毎日、その5分をどう捻出するか、に知恵を絞る生活をしているのだ。

その70分間、日焼けを気にしながら、牛歩で進みながら、腰の痛みも覚えつつ、しかも一緒に並んでいるのが家族だと気を遣わなくなるため、不機嫌になってくる。

まあ気を遣いながら並ぶのもつらいけど。

カフェや新幹線ではあんなに仲良くしゃべっていたのに、楽しい会話はどこへ?となった。にこやかに会話している周囲の人びとを見て「えらいなあ、すごいなあ」と思ったものである。

ただ時間が過ぎるのを待つという、どうしようもなく非生産的な、心身共にくたびれることに、耐えられない自分を発見した。

これは体力のせいなのか、テンションのせいなのか(テーマパークが得意じゃないことも今回の発見)、フリーランスのため普段自由に時間を使いすぎてちょっとの我慢もできなくなっているのか。

あ、しかもそれを4アトラクションぶんやり遂げたのだ。1つは30分待ちだったけど、あとの3つは1時間超えで。

「この世で一番の悪は不機嫌なことだ」という言葉を聞いたことがある。

自分で機嫌をコントロールできなくなったとき、ギリギリのところで踏みとどまり、どう機嫌を立て直していけるか。

自分の不機嫌で家族を傷つけてしまわないように。自分のことがイヤになるような後味の悪い思いをしないように。

これが私の課題だ。

それを教えてくれた意味でも、貴重な精神修行をしてきたのである。

大人だって怒られたくない。子どもならなおさら

夫婦を長いことやってると、相手の地雷というか怒りスイッチがわかってくる。

こういう話題を持ってきたら不機嫌になるだろうな、というものだ。

夫の地雷トップ3つは以下のとおり。

1.学歴や受験や成績の話題

2.お金や節約の話題

3.政治の話題(夫の支持政党以外を応援するなど)

特に1と2について。子どもの成績とか進路とか教育費とか、どうしても相談しなきゃいけないことがある。

ところが、「言わなきゃ」と思ってから、3日くらい思い悩むのが常だ。

そのくらい、言えない。

言ったら不機嫌になるだろうな、怒るかもしれない、子どもにとばっちりが行くかもしれない。そして結局、解決したい事柄が解決できないかもしれない、と思ってしまうのだ。

そのくらい、怒られることは怖い。

もしかしたら、怒らせることが面倒くさいと思っているのかもしれないけど。

本来、上下関係のない夫婦でさえそうなのだから、子どもが親に怒られるのはほんとに怖いだろうなって思う。

怖いからいろいろ言い出しにくい。聞かれたらイヤだなとビクビクしてしまう。言わなくていいのならと隠したままにしてしまう。でもひょんなことからバレて大変なことになったりもする。

だから、大人の皆さんに言いたい。

「怖い親」であることは、子どもにとっても親にとってもメリットがない。

親の威厳なんていらない。子どもはお見通しだ。

「話しやすい関係」をつくっておくと、何事もスムーズに進む。それはすなわち信頼関係をつくることだ。

まずはこのことを、夫にどう伝えようか。

毎日更新が途切れても、しれっと戻ってくる

人と会うのもそう、イベントに参加するのもそう。

しばらくご無沙汰していると、ちょっと顔出しにくいなってことがある。

でも他の人はまず気にしていない。

ああ久しぶりだね、来てくれてうれしいよ、と歓迎するだけ。

ブログもそう。勝手に毎日更新の約束を自分にし、3~4日空いたら勝手に気まずい思いをする。

一人芝居、独り相撲。

もしかしたらまた締め切り前は空いちゃうかもしれない。

そんなとき、ああだこうだ言い訳せず、カラッと明るく帰ってきたい。

こんばんは!

子どもに本を読む人になってほしい理由

中学生の子どもには、本を読む人になってほしい。

作家の林真理子さんはこんなことを言っていた。「読書の習慣がある人は一生退屈することがない」と。

それそれそうなのよと全面賛同なのだが、今はスマホ時代だから、エンタメは選びたい放題、本じゃなくてもいいことになる。

じゃあなぜあえて本かといえば、2つ理由がある。

1つは、文章を読む耐性がつくことだ。読解力がつくとも言えるかな。

この耐性があると、いろいろな状況でサバイブできる。トリセツや契約書や論文を投げ出さず目を通せることは、イコール、だまされなくなることでもある。

そして2つめは、これは持論なんだけど、本を乱読している人ほど文章がうまいと感じているのだ。

うまいといっても、模範的でわかりやすい文章とは違う。センスが光る文章というのかな。

家族の話で恐縮だが、私の父がそうだったのだ。父は理系でしゃべりが得意じゃない。口がなめらかに回らず、説明に小難しい熟語を入れてきたり、頓珍漢なことを言ったり。父が書いた文章など見たことなかったし、年賀状にはひと言も添えずに出す人だ。

そんな父がある時、大学の同窓会誌に寄稿を頼まれた。読んでみて驚いた。「本当にお父さんが書いたの?」と母と言い合ったものである。美しい文章ではないけれど、癖があってどことなく文学的なのだ。読んでいてリズムが心地よい。

そういえば父は乱読派だったのだ。父の本棚には司馬遼太郎松本清張、西村京太郎、西村寿行などが並んでいた。難しい文学やノンフィクションはなかった気がする(ちなみに今はスマホゲーム派)。

こうした作家の文体が大量に身体に刻まれているのだろう。頭で考えてもこういう文章は書けないだろうな、と思ったのだ。

もう一人例をあげると、多読派の友人がいる。彼は大学時代の同級生&バイト仲間で、ミステリーの趣味がぴったりだった。同じ本を最高のミステリーと崇めていたり、たまたま同じ時期に同じ本を手にとっていたり。

彼も理系で長い文章は見たことないが、ちょっとしたメールのやりとりをしたとき、「なんだか文章いいな」と思ったのだ。ほんの短文なのにリズムがある。文の端っこに説明のつかない味わいが滲むのだ。

上の二人とは逆の事例もある。

文章を書く仕事をしている人でも、本を読んでこなかった、本を読んでませんという人は、一生懸命に頭で文章を組み立てている感じがある。模範的でわかりやすい文章は書けたとしても、言葉と戯れているような味わいにはなかなかたどりつかない。まあ人のことを言える立場じゃないのだが。

また、話のうまさと文章のうまさは別物だ。それぞれの磨き方がある。

というわけで、子どもには書き言葉と楽しくつきあっていける人にほしいと願っているのだ。

だんだん長い文章に触れなくなっている今だからこそ。

TikTokの15秒しか集中力がもたなくなっている今だからこそ。

オーディブルは小説のほうが向いている

ビジネス書や実用書より、小説のほうがオーディブル向きではないかと思う。

ビジネス書は、言ってみれば名言の宝庫。何度も味わって頭に叩き込みたいところで、耳からだと言葉が流れていってしまう。マーカーを引いたりドッグイヤーしたりすることもできない。表や図も確認することができない。

小説がオーディブルに向いているのは、ただただ物語に身をまかせていればいいからだ。家事をしながら、頭の中は小説世界にトリップできちゃう。

コロナの流行が始まった頃、『首都感染』(高嶋哲夫)を聴いた。

感染症の怖さ、医療現場のひっ迫感、政府の動きを前もってシミュレーションでき、またとないタイミングで読めたことに感謝した。

同時に、小説に出てくる総理大臣があまりに頼もしくて、ああ現実はこうはいかないか…と落胆もしたけれど。

今思うと、2010年に書かれた本なのに、未来を見てきたかのようなコロナ禍とのシンクロ率だ。

もう一度読んで(聴いて)、答え合わせをしてみたい気分である。

 

今年の手帳を3か月使ってみての振り返り

人生をエディットするでおなじみの?「EDiT」手帳。

手帳といえば、ロフトあたりで日がな一日吟味して買いたかったのに、昨年末はその時間がとれず、アマゾンで吟味して買ったのがこれ。

使ってみての感想を記しておこう。

・イヤー、マンスリー、ウィークリーの3パターンあって、イヤーには決まっている定期の仕事が書き込めて見やすい。

・マンスリーページを開きやすい。しおりなど使う必要もなく、3月なら3月を狙い撃ちして開けるのがいい。

・ウィークリーページに一日のスケジュールを細かく書く予定だったが、こういう作業(家計簿に通ずるこまごまとした)は私に合わないことを教えてくれた。

・ウィークリーページが存在感を出しすぎてしまったことで、実は最もほしかった白紙ページが少なくなってしまった。

・巻末にある世界の祝日、世界の時刻、主要都市の地下鉄マップ、アドレス帳はいらない。スマホ時代に、忘れられた遺物のよう。

・デザインはシンプルで私好み(気づいたら、手帳もスマホケースもスーツケースもベッドシーツもスカイブルー。ベッドに手帳やスマホを置いておくと消える)。

というわけで、4月からより便利なタイプの手帳に替えるかどうか、だ。

私の結論はNo。

この1月から3月、とんでもなく密度が濃く、マンスリーページは真っ黒になってしまって、むしろそこが愛おしくて手放せない。

誰だって欠点はあるよねってことを思い出させてくれる意味でも、年末までこの手帳を使い込もう。

どうかよろしくね。

↑ 同タイプの3月始まりはこの4色みたい。