「他の人とかぶらない挨拶をしよう」と考えなくていい
本の著者やイベントの主催者など、大勢の人の中心となる人物に会う機会がある。
そういうとき、「この人は大勢の人と話をするのだから、私は他の人とは違うことを言わなきゃ」という意識が働くことがある。
ある著者と会ったときのこと。
その日の未明に大きな地震があった。約束の時間は午後だったが、その著者は午前中に多くの人に会っていることは承知していた。だから、「きっと地震の話はもううんざりかもしれない」と思い、あえて触れずにいた。
よくよく考えると、地震の話に触れないのはおかしいくらい、けっこうな震度だったのだ。しかも、マンションの上層階で揺れも大きいはず。
またこんなこともあった。
あるパーティでその主催者の家族の訃報を知った。パーティーがお開きになり、長い列になってひと言挨拶して、一人ひとり帰っていく。
ようやく私の番が来たとき、このパーティーが素晴らしかったことを伝え、楽しい言葉で締めくくろうとしてしまった。きっともうみんなが伝えているだろうからと、訃報にはあえて触れなかったのだ。
考えてみれば、みんなが伝えているから触れないというのはおかしい。私なりのお悔やみの言葉を伝えればよかったのだ。
もしかしたら私はその他大勢になりたくないという気持ちがあったのかもしれない。それは私の事情ではないか。
相手の事情を慮ることが大事な場面なのに、自分をアピールしようとしておかしなことになってしまった。
たとえ100人が100人伝えていたとしても、私の言葉がそこに埋もれてしまったとしても、相手を思い、気持ちを伝えることが何より大事なのだ。